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2007年10月25日 (木)

『殺戮姫』

 「死刑存廃議論」については、正直、こんないいトシになっても、いまだに廃止・存置、どちらが正しい、とも決めかねている。

 日本において死刑廃止論がいまだに少数派なのは、ぶっちゃけ、廃止論者たちが語るその論に、説得力が無いからだ。人命の尊さ、かけがえのなさ、誰もが抱えている生への存念の重さ、そういったモノを想像させ、聞く者の心を動かすだけのチカラが無い。容赦無い言い方をすれば、彼らの言葉には、血が通っていない。死刑制度存置に賛成している人たちが抱えている、被害者感情や、凶悪犯罪に対する怒りや、恐怖心。そう言ったモロモロの感情を捨象して語られる、理性的な死刑廃止論に、誰が心を動かされるものか。
 賛成している人たちが野蛮で愚かなわけではない。
 廃止論者が語る、「死刑制度が廃止された世界」に、全く魅力が感じられないだけなのだ、と私は思う。
 死刑制度が廃止された世界で生きていく、と言うコトは、どう言うコトなのか。どのような価値観をもって、この世界の、そして自分自身の中にある「悪」とつきあって生きていかなければならないのか。そのへん、廃止論者は一体どう考えているのか。死刑制度が廃止された世界では、私たちは今よりももっと安全に、もっと自由に、もっと愉快に生きていけるのか。私が知りたいのは、そこのところなんですが。

 廃止論者たちが口々に言うところの、「国家による殺人は許されるべきではない」という説明には、全く納得できない。いや、そりゃ、あんたらの言うと おりだが。じゃあ、死刑を廃止した「ご立派な先進諸国様」たちが、この何十年かの間に、ヨソの国の人間の頭の上に、どれだけの爆弾を落としてきたのか、思 い出してみるといい。究極の「国家による殺人」であるところの「戦争」については棚上げしておいて、死刑廃止を語る神経が、私にはわからない。

 しかし、死刑存置に賛成するならするで、コレはコレでつらい。
 賛成する、と言うコトは、つまり、「この世には、殺されてもいい人間が存在する」と言うコトを認める、と言うコトだからだ。
 死刑制度に賛成するのなら、せめて、賛成すると言うコトは、「殺せ!こんな奴、かまわないから殺っちまえ!」と言う声を上げているのと全く同じコトなのだ、と言う自覚くらいは持っているべきだろう。私たちも、「死刑」と言う名の「人殺し」の片棒を担いでいると言う、自覚と覚悟を持つべきなのだ。

 誰が言ったのか、「人間一人の生命は、地球より重い」と言う言葉を、私は支持したい。
 その一方で、死刑廃止論者の言い分には反吐が出そうになる。
 が、しかし、「これ以上、また、誰かを殺さなければならないのか」、という、なんともいえないこの感情は、廃止論者の小理屈とは別の次元で、私たちの中に確実に存在する。

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 辛気臭いマクラをダラダラと並べて置いて、ひさびさにチャンピオンの話題です。

 『殺戮姫』。

 『特攻天女』の時も、鬼畜描写で物議を醸したみさき速先生、今回もとばしてます。
 各所のレビューでも、非常に評価が難しい作品のように扱われていますね。題材が題材なだけに。

 結論から言うと、この『殺戮姫』、私は評価します。

 現実世界においても、「鬼畜」「残虐」「非道」などと言う言葉ではもはや追いつかないような事件が、さほど珍しくもなくなってますよね。
 「悪人」などと言う形容では言い表せないほどの「悪」。
 例えばこの事件、私の中ではいまだにトラウマになっているくらいの衝撃でした。
 コレに限らず、人間の世界の「善悪理非」が全く通用しない怪物たちが、私たちの社会にはゴロゴロ存在しています。 

 こんなトピックも存在しているくらい、私たち自身も、「善」や「悪」をもはや「自明のコト」として語るコトが出来なくなってしまっている、と言うコトは、恐ろしく、そして頼りないハナシではありませんか。ただ、このトピックに登場する発言の中で、

    倫理が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「倫理」に聞け。
   宗教が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「宗教」に聞け。
   法律が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「法律」に聞け。
   いや。「いけない」と言っているのは私だ。
   という事であれば「自分で考えろ」。

 個人的には、この言葉が、ものすごく気に入っています。 

 『殺戮姫』で描かれているのは、先のトピックが露呈してしまったように、「善」「悪」がかつてのような「自明」な説得力を持たなくなった世界なのだ、と思います。
 「怪物(残虐な犯罪者)」と「怪物(流)」の、身もフタも無い殺し合い(つか、流の一方的殺戮)でしか決着を見られない、救いの無い作品世界。(私たちの現実世界でも、どうせ倫理も宗教も法律も、納得のいく決着など見せてはくれないのですが。)
 そんな中で、王士が語るこの言葉、    

    たとえそれが誰であっても──────
    人が死ぬと俺は悲しい

 他の方はどう読んだかわかりませんが、私は、この言葉を「殺人禁忌」の究極の根拠として受け止めたい。
 こういう感情も、もしかしたら、「万人の共感」を呼べるモノではないのかもしれません。
 しかし、私は「人が死ぬと悲しい」と感じられる人間でありたい、と思います。

 読後の後味の悪さは天下一品。
 カタルシスには程遠い内容。
 読む人によっては、ただただ不快感しか残らない作品かもしれません。
 主人公が「正しさ」を目指そうとしていない、と言う点も、もしかしたら嫌われる理由になっているかもしれませんね。
 しかし、無茶苦茶なのは百も承知で言わせていただきますが、「正しさ」で、少なくとも「人間の生き死にの問題」について、何かが前向きに進んだためしがあったのか?
 「人が死ぬと悲しい」と感じる心が、私たちにもまだ残っているのかどうか。確かめられるコトなんて、もうそんなコトくらいしか、残されていないんではないか?

 『殺戮姫』が最終的に着地するのがどんな場所なのか、全く予想がつきませんが、私にとっては、どうしても無視出来ない作品になってしまいました。
 他のサイトさんでは今後、どう評価されていくのかわかりませんが、私は最後まで見守っていきたいと思います!

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