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2008年5月23日 (金)

続・『豚か狼か』&『秋田で始まり、秋田で終わる』合同クロスレビュー感想

第2回/この二人はいったい何者なのか

 一年近く前、宇都宮勇さんのサイトの掲示板に書き込んだ自分の文章のことを思い出したので、以下に転載させていただく。
 
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 同じ「好き」「嫌い」を語るにしても、宇都宮さんの文章には、「マンガ」全体に対する愛とか熱とかがバッチリあるので、読んでて共感させられっぱなしです。
 先頃の、「マンガに対して『単なる娯楽』にしか思っていません。」と言う台詞も、私は、「たかがマンガ。だけど、そいつが好きで好きでたまらないんだ!」と言う意味なのだろうなあ、と、勝手に解釈して読みましたが。
 「たかがマンガ」「大好きなマンガ」だからこそ、本気だし、妥協出来ない、と。コレって、深読みしすぎですかね。でも、私みたいな奴は、どうしてもそう読んでしまうんです。

 私の個人的な好みで言えば、「冷静で公平で客観的」なレビューと言うモノには、あまり魅力を感じません(第一そんなモンが存在するとも思えませんが)。自分の感性や価値観に懸けて、本気で好き嫌いを言い立てるレビューの方が絶対に面白いし、読む方も気合いが入ります。

 コレは極論かもしれませんが、私は、レビューと言うモノは、その作品を切り口にして、結局、レビュアーの嗜好や感性や価値観を「告白」しているモノだと思っています。だから、他の方のレビューを読むのは、無茶苦茶面白いのです。
 マンガのレビューに限ったコトではなく、ソレがナニについて書かれた文章にしても、「程の良い表現」、「歩留まりのイイ表現」なんてモノに、私は魅力を感じません。そんなモン、ナニも語ってないのと同じだと思うので。
 例えその文章の内容が、「『ヤンキーフィギュア』つまんねえ」とか「『クローバー』面白え、泣けたよ!」とかでも、読んでるコッチが、笑ってしまったり、感動してしまったりしたら、ソレはレビューの勝利だと思います。レビュアーの感性、価値観の勝利なのだ、と。勝ちとか負けとか、言ってるコトがちょっとオカシイような気が自分でもしますが。

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 自分で引用していて気恥ずかしくなるほどの、手放しのラブ・コールである。
 上記の文章には、もしかしたら宇都宮さんのレビューに対する、私のとんでもない誤解も含まれているかもしれない。
 しかし、私が宇都宮さんの文章のどこに魅力を感じているのかはわかっていただけると思う。
 自分の言い分になぞらえていえば、宇都宮さんについて語っているようで、結局は、私自身の「魅力的なレビューとは」と言う考えについて「告白」しているだけ、と言えば言えるかもしれない。

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 宇都宮さんの文章は、「好き」「嫌い」のレベルにとどまらず、ヒトやモノや事象に対して「自分はソレらと、どう言う関係を取り結んでいきたいのか」と言う「意志」が感じられる点が素敵です。
 うすっぺらな「公平さ」や「客観性」に逃げない、「意志」を感じさせる文章。
 宇都宮さんや、人面犬さんもそうですが、私は、こう言う文章を書く人が大好きなんです。

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 今、引用した文章は、今年の2月に私のブログで書いた一節である。
 宇都宮さん、人面犬さんのサイトをご覧になっている方に、通じるだろうか、と言う懸念を抱きつつ、引用している。

 今のところ、私は、「漫キチ4大要素」の「理」・「知」・「情」・「意」のうち、「情」と「意」の2点に偏った視点から、お二人について語りすぎているきらいはある。そのへんの自覚はある。
 他の人は、お二人の文章から、もっと違ったモノを受け取っているかもしれないし、お二人から見たら、私の抱いている感想は、的外れなモノかもしれない。
 それでもいい、と思っている。
 私は、あなたが本当に欲しいと思っているモノを、あげられないかもしれないし、
 あなたが私に手渡してくれるモノが、私が本来望んでいたモノとは限らない。
  
 しかし、私は何かを読み誤るコトはあるかもしれないが、二人の文章の奥底にある、マンガに対する「愛」については、しっかりと受け取っているつもりである。

 たとえば、『フルセット!』や、『LOOK UP!』についてのレビューで、彼らの「マンガ愛」と「マンガ眼(EYE)」は本領を発揮する。特に、『LOOK UP!』第1話の段階で、この作品を高く評価していた二人の慧眼は、ただ事ではない。

 この、マンガに対する「愛」というやつ、あまりに膨大な熱量を持っており、うかつに近づくと火傷をしそうなくらいであるが、この「愛」が、その熱量のままにひとたび「憎悪」に暗転するや、宇都宮さん、人面犬さんのレビューは容赦が無くなる。
 『ゾクセイ』『ペンギン娘』に代表される「マンガに対する愛情や、読者に楽しんでもらいたい・愛されたい、というサービス精神が見えてこない作品・作者」に対するレビューの対決姿勢は、すがすがしいまでに非妥協的であり、執拗である。

 この「執拗」というキーワードが、二人の特長を端的に表現している、と、私は思う。
 
 人面犬さんの「批評の現在と批判の可視化」というトピックは、彼ひとりではなく、(私以外の)たいていのレビュアーがくぐり抜けている作業について書いてある、と私は了解している。
 このファーストインプレッションを、第三者に説得力あるモノとして具体化する作業を「可視化」と名づけたのは、さすが、としか言いようがない。

 チャンピオン系漫キチ界随一の理論家の面目躍如。

 この「可視化」という作業は、作品や作者に対するファーストインプレッション=「好き嫌い」をベースにして、そのベースを過去の自分の「マンガ経験(体験ではない)」と、今まで培ってきた自分なりの「マンガ観」に問い合わせながら、検証を進める、という作業である。
 そして、私は、この「可視化」の作業が大の苦手だったりする。
 私の場合、ファーストインプレッション(=初期衝動と呼んでもらってもいい)の状態のまま最後まで突っ走る癖があり、およそ、第三者の共感を呼ぶような文章が書けないタイプの人間である。
 緻密な「論」の積み重ねに堪えられる「知性」を持ち合わせていないせいもあるだろうし、文章力の問題もある。

 宇都宮勇さん、人面犬さんの両者は、この「可視化」の部分において、強烈な個性と才気を発揮する。

 他のチャンピオン系レビューと比較して、この二人が突出しているのは、文章量の長大なコトと、その対象が「好きな作品」・「続きが気になる作品」にとどまらず、「嫌いな作品」・「嫌いな作者」についても、相当のボリュームをあてている、という点である。

 なぜ、その作品が嫌いなのか。
 なぜ、その作品を問題にするのか。
 その作品のどこがネックになっているのか。
 具体的に、客観的に、そして、しばしば継続的に、しかも相当のボリュームでもってそれらの「問題」を「可視化」しようとする。
 人によっては「執拗」にさえ映るかもしれない、そのレビューにおける態度を、私は断然支持する。

 マンガでも音楽でも、その作品から何を受け取ったのか、それを言葉で諒解してもらうという作業に対して、困難を感じない人は愚かである。 
 そして、困難だからといって、言葉が無力だなどと短絡してよいわけでもない。
 言葉を費やせば核心に近づけるとは限らないが、言葉以外のナニでもって他人にそれを伝えられるというのか。
 自分にとってのファーストインプレッション(好きか嫌いか、面白いか面白くないか)を、第三者にも具体的に共有可能なモノとして「可視化」しようとすれば、その態度として「執拗」になるのは必然である。
 彼らは、自分のファーストインプレッションが、第三者にとっても共有可能な「必然」に昇華されるまで、書いて、書いて、書きまくる。

 私のサイトは、某スレで、「世界で唯一、『ヤンキーフィギュア』のイラストをアップしているファンサイト」として認定されている。
 また、人面犬さんからは、勿体無くも、「全パ連(全国PUNISHER団体連合会)関西顧問兼佐渡川準完全肯定派」とまで認定されている。
 その私が、二人の『ヤンキーフィギュア』『パニッシャー』批評には、おおいに頷かされ、その慧眼に敬服してしまうのだ。 

 「作者本人に読まれたら、なんと思われるだろう」
 「この作品のファンが読んだら、傷ついたりしないか」
 こういう遠慮は、分別思慮などではなく、ただの「政治的配慮」である。
 彼らは、そんなモノのために、「面白くない」「ここがネックだ」といった批評を手控えたりはしない。
 そして、見込みのないマンガでも、なんとかして楽しむコトは出来ないか、と、自分のマンガ読みとしての感受性にたずね、不誠実な創作姿勢が透けて見えるマンガには、敵愾心さえ燃やしてしまう。

 天晴れである。
 それでこそ、マンガ馬鹿。それでこそ、漫キチ王。

 ここで、二人が今まで書いてきた文章の中で、個人的に一番好きな文章をそれぞれ挙げてみたい。

 宇都宮さんの過去のレビューの中では、『殺戮姫』についての文章を、是非、読んでみていただきたい。
 この、「好きになるのが難しい」異色の作品について、短期集中連載時にリアルタイムで毎週書かれた感想は、ある意味でドラマチックである。
 話数が進むにつれ、宇都宮さんの『殺戮姫』に対する感想、評価が、少しずつ変わってきているのが読み取れると思う。
 最終回についての感想の文章を読んだとき、私は、不覚にも涙をこぼしてしまった。
 「たかが」マンガが読み手の感受性や価値観を、(ほんの少しだけかもしれないが)拓いていく瞬間を目撃して、感動してしまったのだ。 
 
 人面犬さんの文章では、「秋田書店で描くということ」を是非、ご一読ください。
 私たちファンも含めて、「なぜ、わざわざ秋田書店なのか?」と自問したコトがあるすべての人にとって、必読。
 少年チャンピオンを主戦場に選んだマンガ家さんへの愛が、改めて、胸に熱く湧き上がるコト必至の名文です。

 そんな二人が、『世界一さお師な男 伊達千蔵』と言うマンガについて、同時にレビューしてみせた。

 さあ、
 なにから語ろうか…。

                                   第2回・了(…って、まだ続くんかいっ)   
 

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