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2008年9月 6日 (土)

『約束の橋』

 佐野元春の、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』というアルバムがある。
 1992年のリリースだから、もう16年前の作品だ。
 ここに収録されている、『約束の橋』という曲を、ご存知だろうか。

 君は行く  奪われた暗闇の中に  とまどいながら
 君は行く  ひび割れたまぼろしの中で  いらだちながら
      (中略)
 今までの君はまちがいじゃない
 君のためなら  七色の橋を作り  河を渡ろう 
       
 君は唄う  あわただしげな街の中を  かたむきながら
 君は唄う  焦げた胸のありのままに  ためらいながら
      (中略)
 今までの君はまちがいじゃない  君のためなら橋を架けよう
 これからの君はまちがいじゃない  君のためなら河を渡ろう

                   (佐野元春/『約束の橋』)

 久しぶりに、本当に久しぶりに、この曲を聴いた。
 こんな曲だったのか、という驚きがあった。以前は聴こえてこなかった歌詞が、今、この年齢になって、はじめてクリアに聴こえてきたような気がする。

 たまたま、最近、「言説の限界」とでも言った事柄について考え込むコトが多かったので、余計にこの歌が響いて聴こえてくるのかもしれない。

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 それがたとえ愛する人とでも、自分と相手との間には、何がしかの距離があるものだ。
 生まれも育ちも社会的立場も価値観も違うだろう。二人の間には異見が存在して当然だし、男女の場合にはさらに、「性差」という、愛し合っていても埋めがたい断絶が存在する。

 身近な話で言えば、誰もが覚えのある、愛する人とのすれ違い。
 やたら大きな話で言えば、遠い国の戦争。
 あるいは、大麻解禁は是か非か。
 あるいは、学歴は必要か。
 人間の価値は、「購買力」で決まるのか否か。
 残業を断るべきか否か。
 愛は世界を救うか?
 ストーンズの新作はイケてるか?
 なぜ、人を殺してはいけないのか?
 どうするどうなる秋田書店? 
 鯨を喰うのは野蛮か?
 そこは、笑ってはいけないところだったのか?
 誰に投票すべきなのか?
 ここは、世界の中心か?
 『相棒』のDVDなら買ってもいいのか?
 ゲーム脳って、本当にあるのか?
 舐めあっても ライオンは強い?
 ヤマンバギャル?
 男同士のセックス?
 地球にやさしい?
 彼女へのプレゼント?
 初音ミク?
 発癌リスク?
 『蟹工船』?
 八百長?
 中華?寿司?
 今週号の『PUNISHER』?
 ゼクシィ?
 派閥?
 歴史修正主義?
 何年ローン?
 神様?
 どうして避妊しないの?
 まあ、一杯飲めや。 

 考えが違う。
 価値観が違う。
 立場が違う。
 背景が違う。
 論点が違う。
 見方が違う。
 齟齬。
 対立。
 独善。
 相克。
 偏差。
 韜晦。
 誤解。
 政治的配慮。

 理解は遠い。 

 私たちはたいてい、此岸から彼岸に向けて「自分の言い分」だけを叫びたて、相手の言い分がこちらに近づいてこないコトに苛立つ。あるいは、苛立つ事に倦み、あきらめている。
 そこには「対話」や「議論」が在ったように見えて、私たちは、ほとんどの場合、実は、「自分の正しさ」にしか関心が無かったのではないか。
 言説や論理の力に信頼を寄せれば寄せるほど、目の前の相手から遠ざかっていくような気がしないか。
 どんなに精緻な論理で、自分の言い分を整理して聞かせても、ほとんどの場合、相手は一向に変わらない。
 彼我は交わらない。
 それでは永遠に、両者は出会えない。
 世界は変わらない。

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 『約束の橋』は歌う。

 君のためなら、「橋を作り」、「河を渡ろう」、と。

 彼我の間に存在する断絶に架橋し、相手の立っている場所まで歩いていこうとする、このフレーズは、感動的である。

 「河」という断絶に架ける「橋」とは、「なぜ、私たちはかくも違うのか」という「謎」に思いをめぐらせる、そういう「心の働き」のことなのではないか。
 同じ景色を見つめながら、まったく違うことを考えてしまう私たちは、「なぜ、こうも違うのか」、と。
 そこに思いをめぐらさない限り、私たちは自分の「正しさ」あるいは「妥当さ」を言い立てるばかりで、いつまでたっても、なにひとつ変えられないままなのではないか。

 あなたには、「なぜ」、この世界が「そんなふう」に見えるのか。私には「なぜ」「こんなふう」に見えてしまうのか。
 その「謎」に思いをめぐらさない限り、橋は架からない。
 この河は、渡れない。
 「正しさ」でも「妥当さ」でも「論理」でも埋まらない、この断絶に架ける「橋」とは、「彼岸で立ちすくんでいる人が抱えている世界観」に関心を寄せようとする、「やさしさ」である、と思うのだ。

 「私とは違う、あなた」のいる向こう側まで、「河」を渡ろう。そのために、「橋」を架けよう。

 久しぶりに聴いた『約束の橋』は、そう歌っている。

 なんとまあ、やっかいな。
 そんなテンションでいちいちコミュニケーションしてたら、身が持たねえよ。
 私は根が横着なので、つい、そんなふうに考えてしまいそうになる。
 正直、「言説」と言うモノに、倦んで、疲れて、あきらめてしまっているのかもしれない。
 どうせ、俺とあんたは違う生き物で、いつまでたっても交わるコトなんかないんだろう。人の見方なんて、変えられようもないだろう、と。
 「あなた」がいる場所まで「橋」を架けたい、と強く願うほどに、私は「あなたが抱えている世界観」に関心があるのかどうか、自分でも自信が無いのだ。
 ひどい話だ。

 この歌に感動はしても、しかし、私はまだ躊躇している。

 だけど、本当は誰だって、誰かに言って欲しいのではないか。
 「君のためなら、河を渡ろう。」と。

 いつか、こんな私とあなたとの間に、『約束の橋』が架かる日は来るのだろうか。

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 …更新した直後に、「…なんかあったの?…」と言われてしまって、ちょっとびっくり。
 そうか、「なんか」あったように読めてしまうのか…。

 無理矢理に整理して言えば、
 数年来考えてきた「言説の限界」みたいな事柄と、
 『約束の橋』が示唆してくれた、「問題は、言説一般の限界にではなく、相手の世界観に関心を向けようとしない態度にある」と言う考え方について、書いてみただけなんですけど。

 無用の誤解を招いてもアレなので、野暮は承知でちょっと補足。

 「なんか」あったら、ズバリ書いてしまってますよ私、ヘタレですから!

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コメント

 ここら辺は人類永遠の解決されない問題ですね。


 『絶望を確認するという希望があるさ』


 ……とは【CROSS†CHANNEL】より(エロゲーム脳)。

投稿: 宇都宮 勇 | 2008年9月 6日 (土) 20時46分

 エロゲは「オカズシーンに辿り着くまで未読スキップ機能を駆使しまくり」の外道・PAN太です!
 宇都宮さん、コメントありがとうございます!
 エロゲ脳というモノまで存在しているとは…この世界には神秘がいっぱいですね…。

 「絶望」「希望」ですら一様ではないのが、人類の厄介な問題。
 語る口を持っていて、聞いてくれる人がいる、というだけで、それだけでも私たちは幸福で、「絶望」からは程遠いのかもしれません…。

投稿: PAN太 | 2008年9月 9日 (火) 22時26分

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