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2008年9月 5日 (金)

『鬼太郎が見た玉砕』

 こんばんは。「永遠の中二病」ことPAN太です。

 最近、一部の方々から、「記事」の更新が無い、『PUNISHER』の感想を書いてない、という指摘をいただいています。
 すいません、お絵描きが楽しすぎて、つい、つい…。うう…。

 と言うわけで、ひさびさに「記事」の更新です。

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 『鬼太郎が見た玉砕』、観ました。

 劇中に登場する歌、おそらく、当時の娼婦や慰安婦によって歌われたものだと思いますが、このような歌詞でした。 

 わたしはくるわに散る花よ
 ひるはしおれて夜に咲く
 いやなお客もきらはれず
 鬼の主人のきげんとり
 わたしはなんでこのような
 つらいつとめを せにゃならぬ
 これもぜひない 親のため
 

 苦界の中で泣く女たちが、「わたしはなんでこのような…」と問うた時、そこに返ってくる答えは、「これもぜひない」「親のため」と言う、よくよく考えてみれば、恐ろしい回答なのです。
 「是非ない」と言うことは、「合理的理性から導かれる善悪理非の判断が存在しない」と言うことです。彼女たちに、「悲惨」や「恥辱」を日々、丸呑みして生きるように説得しているのは、「親のため」と言う、「人倫道徳」なのです。
 議論の余地の無い、自明な、反論困難な(ぶっちゃけ言えば「問答無用」な)「道徳」こそが、この世界の「悲惨」を下支えしてきたのですね。

 「親」のために泣け。と。
 あるいは、
 「国」のために死ね。と。

 明治維新以降の近代日本は、その「政治」を「合理的理性」によって運用する事をかなり早い時期からあきらめていました。
 合理的理性にかわって、「家族国家観」に象徴される、もろもろの「人倫道徳」に「国体」の価値の根拠を求めたと言う点で、敗戦までの日本は、おそるべき「道徳国家」だったのです。おそるべき、と言うのは、政治における「是非=合理的理性による価値判断」が否定されて、問答無用な「道徳」にその行動原理が求められた、と言う意味においてです。
 敗戦までの日本の、夜郎自大で滑稽ではた迷惑な道のりは、主観的・恣意的な「道徳」が日本人の行動を決定していた以上、必然だったのでしょう(『はだしのゲン』に登場する、町内会長や教師や地域ボスに代表される「中間支配層」が、口では「お国のため」「天皇陛下のため」と言いながら、恣意的な暴力をほしいままにしている様子は、問答無用な「道徳」に依拠した「政治」がどれほどおそろしいものかを教えてくれます)。

 ラスト近く、主人公の水木しげる先生の分身である丸山二等兵たちが、先ほどの娼婦の歌の替え歌を歌います。

 これもぜひない 国のため

 と。

 「親」と「国」とを言い換えただけで、そこにあった「女たちの悲惨」が、そのまままったく違和感無く「男たちの悲惨」として歌われています。
 最前線で犬死にさせられる一兵卒が、「世界」の理不尽に泣かされている娼婦・慰安婦たちに重なって見える瞬間です。

 それがたとえ「親」でも「国家」でも、個人に「悲惨」を呑み込んで生きるよう、あるいは死ぬように説得してくるものほど、いかがわしいモノはありません。

 63年前までの日本人と、今の私たちと、そのメンタリティにおいてどれほどの断絶があるのか、疑ってみれば、頼りない話です。

 以前も書きましたが、圧倒的な「世界」の前に、「個人」はあまりにも小さい。
 しかし、「世界」の言い分を丸呑みせずに、もっと自由に、もっと愉快に生きていくために、「個人」はもっとエゴイスティックになってもいいのではないか、と、私は思ってしまいます。
 自分のエゴ以外のなにものにも、決して膝を折ろうとしない態度。
 私自身は、そういう「態度」からは遠い暮らしを送っていますが、しかし、そういう「態度」を貫いて生きる人に、あこがれを禁じ得ません。

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 ラストシーン、上官の亡霊が、水木先生に向かって語りかける、「愉快に生きろ」と言う台詞には、グッとキチャイました。ええ。
 そうなのだ。私たちは誰もが(誰もが、だ。世界中の誰もが、だ)、もっと愉快に生きていいのだ。

 「誰もが、もっと愉快に生きていい。」と言うメッセージよりも、もっと「崇高」な、もっと「偉大」なものが、たとえば「国家」や「民族」や「正義」というモノがこの世にはある、などと言う言説は、すべて虚妄なのだ。

 「平和ボケ」と嗤笑する声が聞こえてきそうだが、上等だ、と思う。
 アフガンも、イラクも、パレスチナも、グルジアも、北朝鮮も、世界中いたる所が「平和ボケ」におおわれてしまえばいい。
 そんな世界になって欲しいものだ。ガチで。

 鬼太郎だって、きっと、そう言ってくれるだろう。

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